母の起きている時間はだんだん短くなり、この年末年始は、食事と1-2時間しかなかった。例年、年末年始に帰省する際は用事を済ませたり、大掃除をしたり、外に連れ出したりするつもりで帰るのだが、今年はできることが少なかった。外食と買い物に連れて行ったのが、それぞれ2回。あとは炊事、掃除、洗濯、頼まれて家の周りに砂利を撒いた程度だ。
できることが少ないと自分の所在がなかった。母は再婚の際に購入した家に一人で暮らしている。おれは帰省の間、その居間で過ごしソファで寝る。
母は起きている時間は居間に来るのだが、食事や用事を済ますと寝室へ戻る。また気が向くと居間に来て用事を伝える。おれが居間に一人でいる間は自由時間なのだが、することがなく、座る場所も落ち着かなかった。ソファに座るか横になって本を読むくらいしかない。勝手に出かけてもよいのだが、母がいつ起きてくるのかわからず、また帰省先の友人とは長らく連絡をとっておらず予定もなかった。
部屋住みのヤクザみたいだといつも思う。映画で見たことがある。揃いのジャージを着ていて、親分の自宅の隅に寝泊まりして用事を言いつかる。親分のいない間は待機。それに比べると、おれは用事が少なくて楽だ。帰省の際に持参した本をほぼ読み終えた。以前は、開かずに持ち帰ることも多く荷物だった。
母の起きている時間が短いと話題に困った。母が口にするのは、食べ物のこと、昔の知人や有名人の名前、Switchのゲーム、Youtubeで見た占いやニュースのこと。あまり会話は弾まなかった。母は老化防止の為に世間話をしたいようだが、おれはうまく受け応えができなかった。会話の会話を強いられることに抵抗があり、また世間の範囲が重ならない。もっと愛想よく相槌を打ったり、昔の話に水をむけてやったり、上手にできないものかと反省した。
おれは意固地になっていた。自分にとっても、小学生の頃に、親戚の集まりで間をもたせる為に、母がおれに話題をふるのを面倒くさそうに受け流す、そんな場面を思い出した。
母は若かった。あるいは幼かった。Youtubeの影響で、しっかり偏向したニュースに染まり、占いや未来予知を信じ、保守を支持している。おれが実家に着くなり、Switchがテレビ画面に映らないから接続を見直すよう、涙ぐんで訴えた。それほどゲームを頑張っているなんて、おれがこどもの頃に「バカになるからゲームはやめなさい」と毛嫌いしていたのが嘘のようだ。いや、どちらの母の姿も母らしい。
母が、寝室の窓の外に時々人が立っている気がする、と言った。老化のせいでそんな気がするだけかもしれない。だからから砂利を撒いてほしい、と言う。侵入者がいたら砂利を踏む音がして、気のせいかどうかわかるはずだ、と言う。通販で買ったという砂利が3袋、玄関に積んであった。それを母の寝室の周り、窓の下に撒いた。砂利はひんやりと氷のようだった。母の不安な気持ち、また老化による勘違いを疑う不安はわかるので言うとおりにした。言うとおりに砂利は撒いたが、今度は「砂利を踏む音がした気がする」だけだろう。
することが少なく、自分は役に立たないので早く帰省を終えたかった。新幹線の予約を1本でも早めて自宅に戻りたかった。帰路の途中で指圧か風俗店に寄りたいと思った。好きな喫茶店のおばあちゃん店主と挨拶するのでもよかった。でも、自宅に戻る予定は変えなかった。
予定通り自宅に戻る時間が近づいて、母が「スーパーに連れて行ってほしい」と言った。生鮮食品、米や冷凍食品を買い食費が浮いたと喜んでいた。スーパーからの帰りにコンビニATMで現金を引き出してほしいと頼まれ、母の口座のカードを渡された。3万円を引き出すように言われたが、残高が数千円足りない。「年末年始は手数料がバカに高いから、引き出すのはもったいないよ」と自分の財布に丁度あった3万円を渡した。母はお年玉だと涙ぐんで喜んだ。この帰省で初めて目が合った。
母の家を出て駅に向かう途中、自分のふるまいの幼さを反省をした。でも、精いっぱい愛想よくしたとも思った。新幹線で東京駅に着くまでの間に、本をすべて読み終えた。最寄駅のマクドナルドでハンバーガーを食べ、帰宅しシャワーを浴びた後すぐ寝た。