私が前に住んでたアパートでの話です。

仕事から帰って、玄関を開けるところで、隣の部屋の人とすれちがうことが続きました。二十代半ばの女性。週に1度、2週に1度くらい出くわすようになって、顔見知りになりました。お互い「こんばんは」「おつかれさまです」と挨拶をするようになりました。

その女性の髪やお化粧、服装は華やかな印象でした。お互い仕事帰りに出くわすからか、その表情はいつも少し、くたびれていて、それで気の強そうな顔立ちが柔らかに見えました。時々、「寒いですね」「今日は道が混んでますね」と挨拶を添えてくれる、感じのよい人でした。

 

顔見知りとなると、親しみが湧くものです。休みの日に廊下を掃除する時も、隣に落ち葉でも舞い込んでいたらついでに拾ったり。ちょっとした好意を持っていました。

 

雨が降った夜、私がマンションの外の集積場にごみを出そうと、階段を下りてエントランスまで行くと、その女性が立っていました。オートロックのエントランスの外で雨宿りしていました。

こんばんは、と集積場に行って、また彼女の横を通って戻る。エントランスを開けて建物に入ろうとした時に、彼女がまだ雨宿りしているのを見て、あれっと思いました。

ビニール傘だったら余っていたな、と思い「傘がないんですか」と聞くと、彼女は「いえ、帰るんです」と答えました。
そうか、エントランスの鍵を忘れたのか。そう思って「開けましたよ、入らないんですか」と声をかけると、また「いや、ちがうんです」と。

彼女は「私、デリバリーなんです」と言いました。私は「おつかれさまです」と言っていいのかわからず「いってらっしゃい」と言って部屋に戻りました。それから、隣の廊下の掃除はやめました。