街で美女を見ると、同情する。

おれはオスなので女性の話をするが、きっと女性からみた男にもあてはまる話だ。

男は美人がいると自然に目がいってしまう。申し訳ないと思う。彼女たちは、男の視線に囲まれて生活しているのだ。電車で、おっさん達の視線にまとわりつかれて、よく耐えられるな。口説いてくるのもうっとうしかろうが、すれちがっただけで何かを期待する目に追われるのは、うんざりだろう。おれだったら耐えられない。

モデルや芸能人、男性相手専門の接客業なら、美しさは商売道具だ。だけど、それ以外の仕事を選んだ人生において、荷物でしかない。オフィスワークや飲食店、小売業にでも就こうものなら面倒くさくてしょうがない。自分が興味のない相手が、見た目だけで寄ってくる。蚊が寄ってくるのと同じだ。モテる?いやいや、発情しているだけだ。

おれは女性に生まれ変わっても、美女にはなりたくない。妹や娘がいたら、美女にはなってほしくない。親切な異性が寄ってきても、表面的な美しさに惹かれた、ただの欲情と分別しなくてはいけない。ああ、いやだ。

美しいのは、休めるのか。化粧や服を工夫したらごまかせるのか。オスのおれからはそうは思えない。少し前にバスで話したお婆さんは美しかった。服装も化粧も理解できなかったが、愛らしかった。年齢も美しさをごまかせない。

不摂生を繰り返して、不健康そうに見せれば美しくなくなるか。いや、あやしい。病弱なまなざし、食いしん坊の笑み、意図せずチラリと見えるだらしなさ、オスの好物だ。なんとオスの欲情は罪深いのだろう。こんなのを、相手にするかは自由として、受け流していかないとならないのだ。女に同情する。だいいち、健康を犠牲にする必要があるか。

ムスリムの「女性はベールで顔を隠すべし」や、ジョン・レノンのバギズム(性別や年齢、人種に左右されずコミュニケーションをとろう、と布の袋に入って対話することを提唱した、可笑しなインスタレーション)は、うなずけるところがある。

だから、おれは美人には親切にしたくなる。そして、あわよくば・・・