京都で知り合った外国人観光客が「80年代以降の建物は最悪だ」と言っていた。「京都にも、やっぱりつまらない建物は多いのね」と。
確かに、コンクリートの灰色と、ガラスの反射と、蛍光灯で出来た建物は、無個性、愛嬌に欠ける。おれも、古民家や、木造建築が素敵だと思う。日曜夜のサザエさんの邸宅を見ていても懐かしさを感じる。でも、それは自分の感覚じゃない。
おれが感じているのはデッチアゲのノスタルジーだ。「懐かしい」と感じている対象は、今30代のおれが経験していないものだ。誰かが「懐かしい」と言ったり、演出したりしたのを学習したのだ。
グルメ番組を見ていただけなのに、「昨日見たハンバーグ、美味しかったよね」と思ってしまうのに似てる。それで、昼食にハンバーグ食べに行ったりして。
記事で読んだ、有名人の軽妙な受け応えから「あの人、いいひとだよね」って印象を持ったりして。会ったこともないのに。
建物の話に戻ると、ほんとうに、おれが「懐かしい」と感じるのは、愛嬌に欠けるコンクリートの建物なのだ。それと、プレハブ小屋。それが、おれの原風景だと思う。
自分で撮った写真を整理していると再認識する。シャッターを切りたくなるのも、無機質と殺風景、息苦しさ。学習したことを全部忘れた時に、目に浮かぶのは、これだろう。だから、これからもたくさん写真を撮って、そのかっこいいところと、かわいいところを見出だしたい。