おれはポンコツ新聞というフリーペーパー、電子書籍を制作している。
数百部を無料で配っているだけの、海に砂粒を投げるような活動なのだが、自分の習性だと思って大事にしている。
ネタを電子書籍にまとめてamazonで配布する。フリーペーパー用にネタを再構成して、刷ったものを自分の好きな店に置いてもらう。抜粋したネタをSNSにも投稿する。この一連の流れを繰り返している。
大事にしていると言いながら、怠けてこの数年疎かになっていた。今年の夏から再びポンコツ新聞制作を再開した。「あかるいしにかた」というネタ。
制作開始から2ヵ月ほど経って、そろそろ最後のまとめに入ろうとしたところで気がついた。これ、死を扱ったネタだからフリーペーパーに刷って、お店に並べてもらうの難しいかもしれないな。SNSに投稿してもNGワードを使っていると見なされて投稿が非表示・アカウントが停止になるかもしれない。
我ながらばかばかしいほど、気がつくのが遅かった。作っても誰の目にも留まらない。
怠けて制作を中断する言い訳にできそうだったが、このまま電子書籍にまとめることにした。フリーペーパーにするのは、お店に迷惑がかかるかもしれないからやめよう。
自分のSNSには、あまりに人を不快にする言葉や内容を避けて投稿してみよう。
そもそも人様の需要をあてにした活動ではないのだ。もともと誰の目にも留まらないでもいいからやってるんだ。
つい先日たまたま、江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」の朗読を聴いたのだが、その主人公の気持ちの動きと共鳴した。小説の主人公は犯罪への誘惑にかられたのだが、おれの場合は犯罪ではなくネタを吐き出す欲求にかられている。(余談だが、新潮カセットブックとして発売されている、柄本明の朗読が薄気味悪くてとてもよかった)
ネタは「あかるい死に方を考える」というもの。この夏、一休骸骨を改めて読んだのがきっかけだ。
一休骸骨は、とんち話で有名な一休さんが書いたと伝えられている本で、やはり死を扱っていて、かわいいガイコツの挿絵がついている。ただ、一休さん本人が書いたとはおれは思っていない。後年に、一休さんのことを好きな人たちが、一休さんが好んだ歌や言い回しを使って「一休さんならこういうことを言うだろう」と仮託した本だと捉えている。
仏教や歴史の知識が浅いおれにとって最も受け止めやすい、わかりやすい一休さんの思想が一休骸骨。好きな歌もある。
くもりなき ひとつの月を もちながら
うきよのやみに まよいぬるかな桜木を くだきて見れば 花もなし
花をば春の 空ぞ持ち来る
これらもやはり一休さんが作ったのではなく、昔からあるものを一休さんが好んだ、あるいは後年の人が一休さんの思想との類似性を見出して選ったのだと思う。
何年かに一度の周期で、一休さんを再読する時期が回ってくる。数年前のそんな時期に作っていたネタを、今ふくらませて、新たに描いてまとめ直している。白紙に墨汁と筆でへたな絵を描く。くだらない短文もつける。
何の需要も目的もない活動だが、こういうことをしないといけないのだ。はやく完成して、次は紙にも刷れるネタにとりかかりたい。