たんぽぽを特別待遇で育てたい。舗装された道路のアスファルトを突き破り生える、たんぽぽ。力強い生命力だけでなくきれいな花まで咲かせるたんぽぽが、才色兼備でかわいいと思った。黄色い花の後に白いポンポンができて、風に乗って飛んでいくというのもかっこいい。人間でいえば、産み落とされて屋根もない雨風に打たれながら独りで育ち、容姿端麗に成長し、中年になると身体がふわっと霧散して一生を終えるようなものだ。そして、その霧が新たな命になる。生命の設計として、人間とはちがう美しさだ。おれが見かける時にはきまって過酷な環境にいるたんぽぽを、鉢に植えて水も肥料もあげたら、どんなにのびのびと成長するのだろう。

春先にビニール袋を持って出掛けた。目当てにしていたたんぽぽは既に綿毛が散った後だった。路地をうろうろ歩いて、白い綿毛が残っているたんぽぽを見つけた。綿毛の軸をつかんで、タネを5, 6個取り、袋にもらう。ポケットにいれて持ち帰った。自宅のベランダに準備しておいた鉢に植える。綿毛をひとつひとつ分けて、ぽつんぽつんと植えた。湿らす程度に水をやる。今は鉢に土が盛ってあるだけだが、あふれんばかりに葉を伸ばし太い軸の黄色い花が揺れる姿を想像した。

何か月経っても芽は出なかった。水は欠かさず、時折肥料もやったが、土のままだった。春夏秋が過ぎ冬になったが、この鉢はもう芽が出ないだろう。

ようやくわかった。たんぽぽは生命力が強いのではない。条件が揃わないと、ちゃんと芽が出ない。おれが道端で見かけるたんぽぽは、奇跡のような確率で芽が出た個体だった。芽の出ない個体が大多数なのだが、おれの目には触れないだけだ。大量の試行の末の奇跡をおれは目にして、生命力が強いと勘違いしていたのだ。

たんぽぽのこと、勝手にたくましいと思っていて申し訳ないような気持になった。決して強くない。どんなところでもきれいに咲くのを見て、無敵のたくましい植物だと思ってしまっていた。あれは奇跡を目にしていたのだ。奇跡が起こるまでには、芽が出るに至らない生命がたくさんある。そのことがわかった。

また、タネをいくつか植えたくらいではたんぽぽ一輪も咲かないことから、試行の回数がないと奇跡は起こらないことがわかった。うまくいかないなと思った時は失敗の回数が足りないと思ったほうがよいと、身につまされた。あと、どうせ奇跡を待ったなら、この土だけの鉢に気長に水をやろうとも思った。