毎日喋ってばかりで疲れた。人間はいつまで、言葉と文字でコミュニケーションをしているんだ。たいして伝わらないくせに。雑な言葉、むだな言葉、あさましい言葉。休憩するにも誰かと喋ったり、喋るのを聞いたり、SNSの雑な言葉を見たり、本を読んだり。
独りになりたい。自分は内向的な人間であることを時々思い出す。そういう時は、カメラを持って迷子になる。明るいうちに電車で出かけて好きな駅で下りる。駅から方向だけ決めてふらふらと歩く。駅のまわりは店も人通りも多いが、その層は薄い。10分も経たずに路地や住宅街に入る。大通りから路地に入ると、写真に撮りたくなる風景がたくさんある。知らない路地に、無数の生活や意図がある。同時にがらんどうだ。
路地に入って本当に迷子になることは難しい。うっかり道案内に従ってしまったり、機能的な設計に誘われて大通りに出てしまったり、自分のいる場所がわかってしまう。大通りは区画整理された理性・論理・言葉で、路地はその背後にあるどうしようもなさだ。理性・論理・言葉に頼らず漂っている時間を長くする、それが迷子の難しさ。
自分はがらんどうだと気づく。行き先もなくただふらふらしている自分の中もがらんどうで、外もがらんどうで、気圧がつり合って落ち着く。自分の中から外へ言葉を喋ることもなく、外から中へ言葉や情報を押しこむこともない。日が陰って寒くなってきた。今晩、湯舟に浸かったらプカリと浮くぞ。
ふと足早に家に帰りたくなる。しかし、家なんか見つからなかったらどうする。
