粗大ゴミで拾ったラジカセを愛用していた。おれが小学生の頃、90年代のこと。家の近くの公園の角が粗大ゴミ捨て場になっていて、夜通りかかった時に拾った。家に持ち帰ってコンセントに差すと音が出た。ラジオも聴けるしカセットテープも聴ける。ラジオも録音できる。さらにマイクがついていて、自分の声やギターもテープに録音できた。雑巾で拭いて、自分のものにした。
ラジオ部分には受信する電波を切り替えるスイッチがついていて、FMとAMと、その他に3つか4つ。FMやAMはラジオ局が放送している番組が聴ける。残りのスイッチは、雑音に埋もれて、音楽らしきものや外国語、信号音が聴ける。この3つか4つのスイッチはFMやAMより低い周波数を受信するようだが、何の為に使うのか疑問だった。何かの通信に使うのかもしれない。このスイッチに合わせて、カセットテープの録音ボタンを押し、マイクにむかって話すと、こちらの声が発信されるのかもしれない。そう思っていた。
今から思えば、おれがゴミ捨て場で拾ったラジカセは1970年代製のもので、短波放送が聴ける機能がついていたのだ。おれがゴミ捨て場で手に入れた頃には既に短波放送局が減っていて雑音が多かったのだ。
雑音ばかりが鳴る、短波放送のスイッチが好きだった。ダイアルを回して受信する周波数を変えて、空気中に漂う音を探す感覚。意味のある音楽や言葉と、雑音の境界があいまいになる。また、雑音が音階や意味のフレーズを形作る。
ダイヤルを回したりスイッチを切り替えて、楽器を演奏するような、毒薬を調合するような楽しさがある。アンテナを触ったり動かすとまた音が変わる。それもテルミンみたいな気分だった。ギターや歌のようなものをテープに録音する遊びを覚えた頃、このラジオを演奏する曲も作ってテープに録音した。いくつかは、ちゃんと曲になっている気がして大事にとってある。
その遊びをしたくて、ラジカセやラジオを探した。当時持っていた製品は、テープの部分が壊れやすいと知っているので、カセットテープはついていない、ラジオのみの製品を手に入れた。おれが持っていたラジカセより発売がさらに古い、1970年代製のナショナル製品 RF-888 COUGAR。
おれがラジオ演奏をしていた1990年代、2000年代とちがって放送局が減っているのと、居住環境が異なるので鳴り方がちがう。鉄筋マンションだとおそらく電波は入りづらい。それでも久しぶりに演奏するラジオは楽しい。
外部入力がついているのに後から気づいた。スマホやPC、CDプレーヤーをつないで聴くことができる。音質がいいとは思わないが、この音質の心地よさは何だ。おれが15歳頃に聴いていた音質だから落ち着くのもあると思う。それだけとは思えない、高音質とは違う方向のイイ音。気取った会食の帰り道、ラーメンをすすって「こういうのがいいんだよ」と思うのと同じ。おれが好んで聴く音楽のうち、60年代ロックやポップス、ましてやブルーズは、こういう音で十二分にグッとくる。2020年代に発売された音楽も、ブルーズにルーツがあるものはとても心地よい音で鳴る。単純に、好きな音楽がいつもとちがう音質で聴けるの、いいでしょう。
2024年になってラジオ演奏を再開して、録音もした。当時のラジオ演奏との違いは、やはり流れている空気中の電波。久しぶりにアンテナを立てて、空気のちがいを感じた。
ラジオ演奏自体は楽しいし、ここまで書いたように憧憬きっかけで再開したラジオ演奏なんだけれど、空気中の電波に漂う言葉は物騒。一度、吐き出しておいたほうがラジオ演奏に集中できるようにも思ったので最初にbandcampに載せた。是非聴いてください!