twitterの名前がXに変わって定着した。名前が変わる少し前からなんとなく感じてはいたことだけれど、名前が変わったことで、もうツイートする/つぶやく場所でなくなったことがはっきりした。

場所が様変わりすると、自分がずいぶんとその場所を頼りにしていたことに気づく。よく通っていた本屋の品揃えが変わったり、映画館やクラブの雰囲気が変わったりするのに似ている。変化することは自然なこと。だけれど、その場所が求めているターゲット層から自分が外れたことがはっきりして、少しさみしい。

おれはtwitter/Xをずいぶん頼りにしていた。おれは流行に疎く、積極的に使っている自覚はなかったけれど。
twitter/Xがなかったら知らなかった情報、交流のなかった人は数えきれない。おれがフリーペーパーを刷って最初に告知するのはtwitter/Xだった。手に取ってくれた人とDMから交流もした。フリーペーパーに至らないネタや、ネタのタネを吐き出す場所でもあった。誰にも宛てずツイートする/つぶやく、それが時々コツンと誰かに当たるくらいなのが楽しかった。

おれは名前が変わってようやく自覚したのだけれど、twitter/Xを開く時に期待することが最近はすっかり違っていた。好きな著名人の動向を知りたい、イベントやチケットの情報収集をしたい、そして醜悪なものを少し覗きたい、という気持ち。

 

メディアも、他人の経営する本屋や映画館、クラブと同じように、他人の都合で変わる、ということがわかってきた。自分のものではないから当たり前なことだ。

本屋ほどではないが自分の家に本棚を持つように、映画館、クラブほどではないが自宅でDVDやレコードのコレクションを持つように、自分で小さいメディアを持つと、安定した遊び場にできそうだ。他人の経営する店が自分の趣味と違ってきても、自分の基地に帰れるように。

おれの場合、フリーペーパー「ポンコツ新聞」がそうなれるよう、時間と手間を割いてみようと思う。誰に届くか、そもそも誰にも届いていないかも知れない、頼りない零細メディアだけれど。他人の作ったSNSとは違って、自分が決めて続けることができる。

SNSは楽しくてやめられないけれど、他人の持ちものであって、おれの基地ではないことは弁えようと思った。だから今までSNSに割いてきた脳と時間の大部分を、自分の基地にむけようと考える次第。