​ 渋谷で、オシャレな人を見かけた。ファッションショーから出てきたような、非日常的な服。もうオシャレというより、「オシャレな人」のコスプレだった。

 

かく言うおれも、その時は「休日に映画観てラーメン食って帰る人」のコスプレをしていて、家に帰ると「布団にくるまって横になる人」のコスプレに着替えたし、翌朝は「電車通勤の人」のコスプレで出掛けた。

 

服というものは、すべてコスプレなんじゃないのか。気分の表明という意味では、ゴスロリも喪服も同じだ。服装が定型化されると記号になり、その途端にパロディ=コスプレになってしまう。

定型的な服装から逸脱することがオシャレのひとつなのに、それが記号化されると「オシャレな人のコスプレ」というパロディに見えてしまう。譜面通りに弾くパンクが、パンクのパロディに聞こえるのと同じだ。

 

となると、「記号化できない自分」を服装で主張したい人は、どんどんオシャレじゃない方向に逸脱していく。街で禿げヅラかぶって歩くとか、おじいちゃんみたいなラクダのシャツ着るとか、本気であり得るんじゃないか。