おれの脳は狭いので、同時期に読んだり、聴いたり、観たりするものがつながっているように感じる。禅とブルーズとテクノと、写真。

最近、禅について読んでいる。わかったような、わからないような、その判断もアテにならない、酒を飲むような読書。同時に、ブルーズやテクノをレコードで聴く良さに溺れて散財した。それに相変わらず写真を撮って歩いている。

本やレコードや撮り溜めた写真が増えて、置き場所に困るにつれ、自分の浅ましさを知る。まずは、所有したら少しでも理解したような気になる浅ましさ。そして、狭いアパートに住んでいるのを顧みず買いこんでしまう浅ましさ。自分のアタマと部屋の広さをわかっていない。

 

狭いアタマと部屋のおかげで、読んだ、聴いた、観たものがつながる。ブルーズの詞のユーモアが禅問答に読めたり、テクノのクラブイベントで時間感覚がなくなった瞬間が瞑想になったり。

禅の公案に「乾峰一路(けんぽういちろ)」というのがある。和尚さんが空中に線をひいて「涅槃の門への一筋道だ」と言ったそうだ。そう無門関という本に書いてある。それを読んだ頃に撮り歩いた写真をふりかえると、空に一線がひいてあるのを探していた気がする。