お客様先のクールビズが9月末で終了する。「10月1日からは、訪問の際にはネクタイしないといけないね」と同僚と話していた。「ウェブ会議では、カメラの映像にネクタイを合成してくれないかな」「会議室のアクリル板にネクタイの絵を描いておいてくれないかな」と冗談を言い合った。

 冗談を言っている時は楽しかったんだが、今思い出すと切ない。おれたちは、元通りの生活に戻ろうとしているのか。

外出自粛の期間に「当たり前ではなかった」「実は、要らなかったな」と気づいてしまったものが沢山ある。それに気づかぬふりをして、元通りの生活に戻ろうとしているのか。

みんな私服でウェブ会議に参加してて、支障なかった。

毎日必ず、満員電車に乗って通勤しなくても仕事はできた。

名刺交換(という奇異な儀式)も、接触を減らす為に割愛して支障なかった。

紙資料を確認してハンコを押す仕事、実は要らなかった。

 こんな話を思い出す。

ある新興宗教。教祖が世界の終末を予言した。信者は言われたとおり、その終末の日に、祈りを捧げながら世界の終末を待った。
しかし、世界は終わらなかった。そこで信者はハッと我にかえり、信者をやめた・・・のではなく逆に、信仰をより深め教祖に心酔していく。
信者は「教祖の予言がはずれた」ことに気づかぬふりをして「教祖の祈りが世界を救った」のだと新しい物語を作った。

 コロナの話に戻そう。おれたちは外出自粛の期間を経て「元通りの生活って、いろいろ不便や非効率があった」ことに気づかぬふりをして「元通りの生活をすることは素晴らしいことだ」と解釈しようとしている。「元通りの生活に近づく」ことが、ポジティブな面ばかり強調される。

気づかぬふりをして、元通りの生活に戻らないといけないの?「コロナに打ち勝つ!」はいいけれど、おれたちは(本当に必要ではないのに)ネクタイを締めたり満員電車に乗る為に打ち勝つんじゃない。